伊坂 幸太郎著
SFのサブジャンルに破滅テーマというものがあって、昔から好きでした。人類が滅亡するとか、地球が崩壊するとか、そんな話が大好きだったのです。明るい未来の話よりも暗い未来の話のほうが好きだったので、端から見ればさぞかし嫌なガキだったと思いますよ。
もっとも、私が子供の頃といえば、まだ「ノストラダムスの大予言」が有効だったころというか、まさに全盛期だった時代で、有無を言わさぬ洗脳状態に近い形で1999年に人類は滅ぶと思わされていたものです。といっても子供にとっての20年後なんて気の遠くなるような未来でもあったんですが、まあ当時の僕たちにとって人類滅亡というのはある種のリアリティがあり、滅亡と隣り合わせで生きていた部分があるわけです。
というわけで、八年後に小惑星が衝突して人類が滅ぶことがわかってから五年経過し、滅亡を三年後に控え、ある種の悟りきった部分が出てきた小康状態の人々の話という「終末のフール」は設定だけで私の琴線をビシバシ刺激します。
しかし、この手の話となるとリチャード・マシスンの「終わりの日」が真っ先に思い出されて、偉大なる前例作がある以上、これを上回る内容は期待していなかったのですが、全体としてはまあ満足しましたよ。そのほかに新井素子の「ひとめあなたに…」もあるけれども、これは未読。
前提となる設定に無理があるのですが、変につじつま合わせをしていない部分は好感が持てます。もっともそれだったならば、もっと説得力のある別の設定を持ってきたら良かったのにと思う気持ちも無きにしもあらずですが……。
それはさておき、滅亡を前にして落ち着いた生活を取り戻すさまは、ネビル・シュートの「渚にて」と似ていますが、あちらは既に大事件が起こった後の話。モラルとか尊厳とかそういったものがどんどん無くなって虫けらのごとき生き様となっていくトマス・M・ディッシュの「人類皆殺し」とは全く逆方向の話ですなあ。とりあえず滅亡までは数年残っているので、モルデカイ・ロシュワルトの「レベル・セブン」のように最初は希望があったけれども、だんだん絶望へと切り替わっていく悲惨な話にはなりません。死体も出るけどカラッと爽やかで清潔感あふれます。父親と母親が全身に紫の斑点が現れ、髪の毛が抜け高熱を出して死んでいく那須正幹の「The End of the World」とは大違いです。そして筒井康隆の「霊長類南へ」のような滑稽さなんてみじんもありません。「篭城のビール」の最後のセリフなんて場違いにかっこよすぎますよ。
全八話ですが、最終話の「深海のポール」が一番のお気に入りです。大洪水が起こるだろうからその時が来たら一番高いところから滅び行く様を眺めるのだと、マンションの屋上に櫓を組み立てる年老いた親父の生きっぷりが素晴らしい。そして息子に投げかける最後のセリフが泣かせます。一方でそんな親父に反発している息子の方も親父に負けないくらい良い。息子は息子で、今は冷静でいられるけれども、その時が来たならばみっともないくらいに生き延びようとするだろうと櫓の上で考えるのだ。最後まで生きることをあきらめないさまは後藤みわこの「あした地球がおわる」を思い出させもしますが、この親子の対比が絶妙。
もっとも、私が子供の頃といえば、まだ「ノストラダムスの大予言」が有効だったころというか、まさに全盛期だった時代で、有無を言わさぬ洗脳状態に近い形で1999年に人類は滅ぶと思わされていたものです。といっても子供にとっての20年後なんて気の遠くなるような未来でもあったんですが、まあ当時の僕たちにとって人類滅亡というのはある種のリアリティがあり、滅亡と隣り合わせで生きていた部分があるわけです。
というわけで、八年後に小惑星が衝突して人類が滅ぶことがわかってから五年経過し、滅亡を三年後に控え、ある種の悟りきった部分が出てきた小康状態の人々の話という「終末のフール」は設定だけで私の琴線をビシバシ刺激します。
しかし、この手の話となるとリチャード・マシスンの「終わりの日」が真っ先に思い出されて、偉大なる前例作がある以上、これを上回る内容は期待していなかったのですが、全体としてはまあ満足しましたよ。そのほかに新井素子の「ひとめあなたに…」もあるけれども、これは未読。
前提となる設定に無理があるのですが、変につじつま合わせをしていない部分は好感が持てます。もっともそれだったならば、もっと説得力のある別の設定を持ってきたら良かったのにと思う気持ちも無きにしもあらずですが……。
それはさておき、滅亡を前にして落ち着いた生活を取り戻すさまは、ネビル・シュートの「渚にて」と似ていますが、あちらは既に大事件が起こった後の話。モラルとか尊厳とかそういったものがどんどん無くなって虫けらのごとき生き様となっていくトマス・M・ディッシュの「人類皆殺し」とは全く逆方向の話ですなあ。とりあえず滅亡までは数年残っているので、モルデカイ・ロシュワルトの「レベル・セブン」のように最初は希望があったけれども、だんだん絶望へと切り替わっていく悲惨な話にはなりません。死体も出るけどカラッと爽やかで清潔感あふれます。父親と母親が全身に紫の斑点が現れ、髪の毛が抜け高熱を出して死んでいく那須正幹の「The End of the World」とは大違いです。そして筒井康隆の「霊長類南へ」のような滑稽さなんてみじんもありません。「篭城のビール」の最後のセリフなんて場違いにかっこよすぎますよ。
全八話ですが、最終話の「深海のポール」が一番のお気に入りです。大洪水が起こるだろうからその時が来たら一番高いところから滅び行く様を眺めるのだと、マンションの屋上に櫓を組み立てる年老いた親父の生きっぷりが素晴らしい。そして息子に投げかける最後のセリフが泣かせます。一方でそんな親父に反発している息子の方も親父に負けないくらい良い。息子は息子で、今は冷静でいられるけれども、その時が来たならばみっともないくらいに生き延びようとするだろうと櫓の上で考えるのだ。最後まで生きることをあきらめないさまは後藤みわこの「あした地球がおわる」を思い出させもしますが、この親子の対比が絶妙。
コメント
ぼくもこの作品読んでいて、マシスン『終わりの日』を思い出しました。短編ひとつひとつだと、巧いけれどそんなでもないな、という感じでしたが、連作の重層効果で、読み終わったときは、かなり満足感が得られました。
社会の混乱が一通り収まった後の世界、という設定もなかなか良かったと思います。個人的には混乱の真っ最中を描く破滅SF風の展開も非常に好きなのですが。
そういえばマックス・エールリッヒの『巨眼』という作品が、やたらと設定が似てるんですけど、作者はたぶん読んでないですよね。
マックス・エールリッヒの「巨眼」なんて、凄いもの読んでますね。私もこれ、名のみしか知らないんですが、作者の年齢的に言って読んでないんじゃないでしょうか。
あなたも滅んでみませんか −破滅SFの愉しみ−
先日、伊坂幸太郎『終末のフール』(集英社)という作品を読みました。これ、すでにお読みの方もいるかと思いますが、隕石が地球に衝突して、人類滅亡が確実視されるようになった世
こちらもTBさせていただきました。
僕は海外ものに偏ってるので、Takemanさんが挙げておられる、日本の作品は全然読んでないんですよね。小松左京クラスだと別だけど、日本人がこの手のジャンルを書くと、どうもこじんまりしてしまうような気がして。まあ偏見ですが(笑)。
『終末のフール』は、もう設定を聞いただけで買いでした。もし現実にこういう事態が起こったら、こういう風になるのかもなあ…と思わせてくれるような、妙なリアリティに感じ入りました。
人類が滅亡してしまうものは破滅SFというよりも終末SFとしたほうがいいのかもしれませんねえ。
私も「終末のフール」は設定だけで買いましたよ。
「終末のフール」 伊坂幸太郎
『終末のフール』
著者:伊坂幸太郎
出版社:集英社
<簡単なあらすじ>
「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」…
こんばんは。
内容を全く知らずに手に取ったのですが、世界が破滅したり人類が滅亡する系の話は好きなので面白く読めました。
私も最終話の「深海のポール」は好きですね。息子に投げかける最後のセリフも泣かせますが、子どもの無邪気なセリフも対比してて良かったな~。
伊坂幸太郎は初めて読んだのですが、違う著書も読んでみようかなと思います。
TKATさん、こんにちは。
終末までの小康状態という設定は前例がいろいろとあるのですが、伊坂幸太郎らしいうまいところを突いてきた感じですね。
この本が楽しめたのであれば、他の作品も楽しめると思います。