クリフォード・D・シマック原作 / 鷲尾 新二郎訳
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「アメリカ滅亡」と「運命号の冒険」はQ-Tブックスでしたが、久保書店にはもう一つのシリーズがありました。それが「SFノベルズ」です。
Q-TブックスがSF一辺倒ではなくミステリも含まれていたのに対してこちらは名のとおりSFのみ。最大の特徴は二つ。一つは読書意欲を著しく減退させ、名作であっても凡作であるかのようなイメージを植え付けさせるけばけばしい表紙のイラスト。
もう一つは、他の作家の作品が併録されていても場合があるという点です。ジョン・W・キャンベルの「太陽系の危機」には、表紙の何処にもそんなことが書かれていないのですが、ジャック・ヴァンスの「宇宙の食人植物」が併録されています。しかも載っている場所がページの後半ではなく前半で、なおかつページ数的にはこちらのほうが若干多いのです。「太陽系の危機」を読もうと思ったらいきなり「宇宙の食人植物」ですからびっくりしますよ。
もっとも私の場合は「宇宙の食人植物」の方を読みたかったのでびっくりはしませんでしたが。そのほか、A・E・ナースの「謎の恒星間航法」にはアレクサンダー・ブレイドの「黒い惑星」、マイクル・コリンズの「ルーカン戦争」にはリイ・ブラケットの「アステラーの死のベール」が併録されているらしい。
で、クリフォード・シマックの「アンドロイドの叛乱」です。ハヤカワSFシリーズでは「再生の時」ですよ、これ。「アンドロイドの叛乱」という題名よりも「再生の時」のほうがかっこいいと思うのですが、内容と照らし合わせてみると「アンドロイドの叛乱」のほうがぴったり、というかまさにそのもの、事件の真相はズバリこれです。タッカーの「アメリカ滅亡」もそうだったんですが、中身を読まなくてもどんな話なのか判る親切な題名を付けてくれます。
しかし、シマックというと長編では「都市」と「中継ステーション」しか読んでいなかったので、「田園作家」というイメージしか持っていなかったんですが、実はシマック、一本の長編に長編数本分のメインアイデアをぶち込み、さらに細かなサブアイデアをぶち込む作家だったということを知りびっくりしました。田園作家はワイドスクリーン・バロックの人でもあったのです。
この本もまさにそのとおり。アンドロイドの叛乱はあくまでメインアイデアの一つ。題名に全てを列挙しようとすれば火曜サスペンス劇場並みの題名の長さが必要ですよ。
<運命>が実は宇宙におけるあらゆる生命と共生する生命体で、白鳥座61番星に調査に行った主人公はその事実を知るけれども負傷してしまったために白鳥座61番星の人々に超人に改造されてしまいます。そして主人公は恐るべきパワーで壊れた宇宙船を動かし、主人公が旅立ってから20年後に地球へ帰ってくるのですが、いきなり決闘を申し込まれます。地球では戦争が無くなった変わりに決闘が合法化されていたのです。
一方で主人公の上司は未来からやって来た自分の後継者に主人公を殺せと言われます。主人公が持ち帰ってきた事実を認めたくない人々がいるようです。というか未来ではタイムトラベルさえ可能になっていることに主人公の上司はびっくり。
そして、何だかよくわからないけれども決闘に勝利する事が出来た主人公の元に、決闘相手が所有していたアンドロイドがやって来て、あなたが新しい主人ですと言います。謎の美女はいきなり主人公に惚れるというご都合主義もちょっと顔を覗かせながらも、主人公は自分の祖先の手紙を手に入れるのです。そしてこのあたりでこの物語の時代が80世紀であることに読者は気付きます。
主人公は将来、<運命>が実は宇宙におけるあらゆる生命と共生する生命体であるという本を書くようなのですが、それを邪魔したいグループと、そのままでは都合が悪いので自分たちの都合のいいように修正させたいグループと、ありのままに書いてもらいたいグループの三つどもえの戦いが時間をまたにかけて繰り広げられているというのがおおよそのあらすじです。
ヴァン・ヴォクトの「非Aの世界」にも似た雰囲気があるのですが、雰囲気が同じだからといって「非Aの世界」と同じくらい面白いのかというとそうでもなく、非常に辛気くさい。表紙の絵だけみると宇宙をまたにかけた娯楽SFのようにも見えるんですが、話の中ではウィスコンシン州の農園風景が広がっていたりとギャップが激しいのもその原因の一つなんだけれども、さすが「都市」や「中継ステーション」を書いた作者だけのことはあるなあ。
「アメリカ滅亡」と「運命号の冒険」はQ-Tブックスでしたが、久保書店にはもう一つのシリーズがありました。それが「SFノベルズ」です。
Q-TブックスがSF一辺倒ではなくミステリも含まれていたのに対してこちらは名のとおりSFのみ。最大の特徴は二つ。一つは読書意欲を著しく減退させ、名作であっても凡作であるかのようなイメージを植え付けさせるけばけばしい表紙のイラスト。
もう一つは、他の作家の作品が併録されていても場合があるという点です。ジョン・W・キャンベルの「太陽系の危機」には、表紙の何処にもそんなことが書かれていないのですが、ジャック・ヴァンスの「宇宙の食人植物」が併録されています。しかも載っている場所がページの後半ではなく前半で、なおかつページ数的にはこちらのほうが若干多いのです。「太陽系の危機」を読もうと思ったらいきなり「宇宙の食人植物」ですからびっくりしますよ。
もっとも私の場合は「宇宙の食人植物」の方を読みたかったのでびっくりはしませんでしたが。そのほか、A・E・ナースの「謎の恒星間航法」にはアレクサンダー・ブレイドの「黒い惑星」、マイクル・コリンズの「ルーカン戦争」にはリイ・ブラケットの「アステラーの死のベール」が併録されているらしい。
で、クリフォード・シマックの「アンドロイドの叛乱」です。ハヤカワSFシリーズでは「再生の時」ですよ、これ。「アンドロイドの叛乱」という題名よりも「再生の時」のほうがかっこいいと思うのですが、内容と照らし合わせてみると「アンドロイドの叛乱」のほうがぴったり、というかまさにそのもの、事件の真相はズバリこれです。タッカーの「アメリカ滅亡」もそうだったんですが、中身を読まなくてもどんな話なのか判る親切な題名を付けてくれます。
しかし、シマックというと長編では「都市」と「中継ステーション」しか読んでいなかったので、「田園作家」というイメージしか持っていなかったんですが、実はシマック、一本の長編に長編数本分のメインアイデアをぶち込み、さらに細かなサブアイデアをぶち込む作家だったということを知りびっくりしました。田園作家はワイドスクリーン・バロックの人でもあったのです。
この本もまさにそのとおり。アンドロイドの叛乱はあくまでメインアイデアの一つ。題名に全てを列挙しようとすれば火曜サスペンス劇場並みの題名の長さが必要ですよ。
<運命>が実は宇宙におけるあらゆる生命と共生する生命体で、白鳥座61番星に調査に行った主人公はその事実を知るけれども負傷してしまったために白鳥座61番星の人々に超人に改造されてしまいます。そして主人公は恐るべきパワーで壊れた宇宙船を動かし、主人公が旅立ってから20年後に地球へ帰ってくるのですが、いきなり決闘を申し込まれます。地球では戦争が無くなった変わりに決闘が合法化されていたのです。
一方で主人公の上司は未来からやって来た自分の後継者に主人公を殺せと言われます。主人公が持ち帰ってきた事実を認めたくない人々がいるようです。というか未来ではタイムトラベルさえ可能になっていることに主人公の上司はびっくり。
そして、何だかよくわからないけれども決闘に勝利する事が出来た主人公の元に、決闘相手が所有していたアンドロイドがやって来て、あなたが新しい主人ですと言います。謎の美女はいきなり主人公に惚れるというご都合主義もちょっと顔を覗かせながらも、主人公は自分の祖先の手紙を手に入れるのです。そしてこのあたりでこの物語の時代が80世紀であることに読者は気付きます。
主人公は将来、<運命>が実は宇宙におけるあらゆる生命と共生する生命体であるという本を書くようなのですが、それを邪魔したいグループと、そのままでは都合が悪いので自分たちの都合のいいように修正させたいグループと、ありのままに書いてもらいたいグループの三つどもえの戦いが時間をまたにかけて繰り広げられているというのがおおよそのあらすじです。
ヴァン・ヴォクトの「非Aの世界」にも似た雰囲気があるのですが、雰囲気が同じだからといって「非Aの世界」と同じくらい面白いのかというとそうでもなく、非常に辛気くさい。表紙の絵だけみると宇宙をまたにかけた娯楽SFのようにも見えるんですが、話の中ではウィスコンシン州の農園風景が広がっていたりとギャップが激しいのもその原因の一つなんだけれども、さすが「都市」や「中継ステーション」を書いた作者だけのことはあるなあ。
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