ミリオンダラー・ベイビー

気がつけばもう二年もブログを書いています。
まあ毎日毎日その日に公開する記事を書いているのではなく、書きたいときに一気に書いて、後は毎日決まった時間に一つずつ公開していっているだけなので、追い立てられるような感覚に襲われずにすんでいるせいなのかもしれません。
別にねらっていたわけではないのですが、これが600本目の記事になりました、なかなかキリのいい数字です。500だったらもっと良かったのですが、世の中そううまくは行かないものです。偶然なのか必然なのか、もちろん偶然に決まっているのですが、アルファ・ラルファ大通りの脇道らしい偶然ということにこじつけておいて、話は変わりますが……。
ミリオンダラー・ベイビー

  •  F.X. トゥール/
  • 販売元/出版社 早川書房
  • 発売日 2005-04-14

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「ミリオンダラー・ベイビー」を観ました。
別に観るつもりは無かったんですが、深夜に放送されていたのを同居人が録画していて、それをまあ暇だから観てみようじゃないかとそんな気楽な気持ちで見始めたわけです。
そもそもヒューマンドラマっぽい話だったので全然興味がなく、女性ボクサーの話というくらいしか知らなかったんですが、少なくともアカデミー賞を取ったくらいなので観て損をするような映画じゃないだろうと思っていたんですよ。
そしたらこれがなかなか面白い話じゃありませんか。主人公の女性はやたらと強く、ボクシングシーンは観ていて気持ちいい。なんでこんなエピソードが入り込んでくるんだと思う部分も所々あったけれども、女性版ロッキーみたいで話がどんどん面白くなっていくのです。
が、しかし。
後半全てが逆転しました。ある意味全く別の話にすり違ってしまったかのようにです。
昔、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」が同時上映されたことがあったのですが、あんな感じですよ。この映画、前半が「トトロ」とすれば後半は「火垂るの墓」です。
もっとも前半部分でよけいだと思っていたエピソードをつなぎ合わせてよくよく考えてみれば、後半がこのような展開を見せても全然不思議ではなく、観るべきところを全然観ずに来てしまったことに気付かされたわけなんですが、しかし、単なる娯楽作品だと思って観ていたので、こんな深刻な話になるとは思っても見ませんでした。せっかく前半で盛り上がってきた気分が台無しというか、これじゃ振り上げた拳のおろしどころがないのです。
どうにも気持ちが治まらないので、原作を読んでみることにしました。
原作の方は70ページにも満たない短編。作者は50歳過ぎてからボクサーを目指し、その後トレーナーに転向。心臓発作を起こし手術をした後、書きかけの小説を完成させとかなければ死んでも死にきれないということで小説を書き始め、70歳で作家デビューしたというとんでもない爺さん。
で、原作の内容はといえば、ボクサーのマギーは強いけれども毎試合1ラウンドKOというわけではないし、トレーナーのフランクもトレーナーであってカットマンではなく、登場人物は映画ほどスーパーマンには描かれてはいません。ある意味どこにでもいるような市井の人々であります。
そういう意味では、映画「ミリオンダラー・ベイビー」はその結末から、ハリウッド映画として異色といわれてはいるものの、人物の描き方は誇張されていて非常にわかりやすく、やはりハリウッド映画なのだと思います。
マギーに訪れた不幸な出来事も映画では極端な反則だったけれど原作では不幸な事故。マギーの家族でさえも映画ほど酷い人間ではありません。
もう少しでミリオンダラー・ベイビーに手が届きそうだった一人の女性の悲劇の物語であり、映画と比べれば遙かに淡々としています。どちらが好みかと言えばやはり原作の方が好みでした。
そして私の中で暴れていた「ミリオンダラー・ベイビー」という物語は、原作を読み終えてようやく静かになってくれたのです。

コメント

  1. NO.113「ミリオンダラー・ベイビー」(アメリカ/クリント・イーストウッド監督)

    「犠牲」なくして成立しないアメリカン・ドリーム。
    イーストウッド監督が「ミスティック・リバー」でアカデミー2冠に輝いたのは、記憶に新しい。そして、今回は、本作品で7部門にエントリーされ、4部門でトロフィーに輝いた。いったい、アメリカの映像関係者は、この初老の監督に、なぜ、ここまで惹かれるのだろう。
    役者としてのイーストウッドはTVの「ローハイド」で名前を覚えられたが、実際、注目されたのはマカロニウェスタンの本場イタリアで「荒野の用心棒」に抜擢されてからだ。アメリカに戻ってからは、「ダーティハリーシリーズ」であくの強い一匹狼の刑事役。それでも、A級とB級の間ぐらいの作品群であった。
    ただし、制作には早くから関心を持ち、68年には、小さいマルパソ・カンパニーというプロダクションを立ち上げている。
    監督になってからもハリウッド流大作主義ではない。しかし、マルパソでチームを組んだスタッフたちと、「イーストウッド流」ともいえる映画作りの流儀をつくりあげた。
    面白いストーリーが第一。
    撮影中、モニターは使わない。
    少人数で、現場に任し、決定は監督。
    リハーサルからカメラは回すが、本番は原則1回主義。
    とかとか。
    テーマは「世の流れに取り残される」人々に焦点をあてることが多い。声高に、なにかを主張するものではない。だけど、いつも、「愚直さ」のなかにある「本質」が、底に流れている。あるいは、寂漠とした余韻のなかに、漂っている。
    フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)は、かつては、そしていまも、優秀なカットマンであり、トレーナーである。だが、優秀なマネージャーではない。23年間、ジムの雑用係として住み込んでいるのがスクラップ(モーガン・フリーマン)。運営するジムはロスにある「ヒット・ピット」。フランキーもスクラップももはや野心を抱いているわけではない。どちらかというと、「ミスギヨスギ」のためのジム経営。タイトル戦のマッチメイクには臆病になっている。「細く、長く」という毎日であり、そのぶん、若者たちの活気もいまひとつだ。
    そんなジムに入門を希望するのがマギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)。ミズーリ州出身の典型的な下層白人労働者の家に生まれ、理解のあった父を早くに亡くし、弟は刑務所、妹は生活保護を受け、140kgの体をもてあます母親は、マギーに仕送り

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