物語もさることながら、作者の経歴が凄まじい。
これに匹敵するとなるとイエールジ・コジンスキーか、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアくらいしか思いつかないけれども、コジンスキーもティプトリーもある方面では世間で評価されたのに対して、ハインリヒ・フォン・クライストの場合は生前は評価されず、しかも、たった一人でナポレオン暗殺計画と企てようとすると同時にゲーテに対抗する劇作家にとなろうとしたというちょっと変な人だ。
詳しい経歴はハインリヒ・フォン・クライストを見てもらうとして、この人が世に残した作品も異様な迫力がある。自分自身が不遇だったというせいでもないだろうけれども、どの作品においても登場人物に身も蓋もない仕打ちが待ちかまえている。文章そのものの密度が濃く、一つの文章が長いうえに、思いこみが激しいというか極端というか、圧倒的な迫力とテンションでもって身も蓋もない悲劇が展開されるのだ。
「拾い子」という話で主人公は、あまりにも悲劇的な出来事が続いたせいで憎しみの余り殺人を犯すが、告解をすれば罰せられずに済むにも関わらず告解せずに地獄に自ら堕ちようとする。自分が殺した相手は地獄に堕ちたので自分も地獄に堕ち、地獄へ行ってまでも復讐するためなのだ。あまりにも直情的というか激情的すぎる主人公だ。
次々と意外な展開が続く「決闘」では、どちらの言い分が正しいのか皇帝陛下の命による決闘が行われ、そしてその決闘で勝負がつくのだが、負けた方が、自分は負けたかもしれないが死んではいない、だからまだ決着はついていないのだなどと詭弁を言い出す始末。さすがはナポレオンを暗殺しようと企てた作者が書くだけのことはあると感心するしかない。負けたと認めない限り、何がどうあっても負けないのだ。ある意味素晴らしい。
『話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと』というエッセイでは、なるほど、書きながらとか話ながら考えがまとまっていくことってあるよねと読み進めていくと最後にあるのが「未完」という文字で、唖然とする。全然まとまっていないじゃないか。
確かに、今ならばこういう作風もありだと思えるのだが、当時はまったく認められなかったというのもうなずけないことではない。あまりにも時代を先取りしすぎていたのだろう。
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