もし、若島正がSFを好きでなかったとしたら、『海を失った男』が編まれることもなく、日本でのシオドア・スタージョンの再評価も起こらなかったか、起こったとしてももっと遅かったか、ここまで大規模な再評価ではなく、小規模なレベルで終わっていたかもしれない。
もっともそれを言うならば、晶文社が<晶文社ミステリ>というシリーズを企画していたからこそ起こり得たといえるし、結果して晶文社は文芸出版から撤退してしまったので、撤退する前に『海を失った男』が出たということも運が良かったといわざるを得ない。
なんだか若島正が紹介している未訳作品は次々と翻訳されていっている気がしていたのだけれども、こうしてあちらこちらで書かれていた文章をまとめて読んでみると、それほどでもなかったようだ。
こういう、本に関する面白い文章を読まされると、その中で対象となっている本を読みたくなってしまうのが、この手の本の唯一の不満で、ジョン・スラデックとかオールディスとか翻訳されないものだろうかと思ってしまう。
僕にはとうてい、若島正のような読み方はできそうもないのだけれども、こうして文章となった若島正の読み方を読むことで自分にはできない読み方というものを知ることができるのだから、できないからといってもそれほど悲しむことでもないのである。そしてこの本はそんなことを教えてくれる本でもある。
コメント