ホラーは嫌いなんだけれども、こういった怪奇小説はわりあいと好きなのだ。
怖いという部分が明確に描かれておらず、想像を働かせた部分に怖さが宿っているというところが好きな理由のひとつなのだろう。
想像を働かせるといっても、物語の流れを追っていけば怖さの部分において簡単に想像できる程度の想像力の働かせ方なので怖がるのにそれほど苦労はせずに済むのだけれども、それと同時に、怖くない解釈も想像することが可能であるという部分が、怖がりな僕にとって怖い話としてとらえることもできるし、偶然が重なった怖くない話としてもとらえることができるということで心に余裕を持たせることができるのだ。
W・F・ハーヴェイの「八月の炎暑」などは、その最たるもので、主人公が描いた絵のとおりになるのか、それとも、単なる偶然で、何事もなく終わるのか、どちらの解釈も可能である、もっとも、何事もなく終わったらつまらない話になってしまうのだけれども。
唯一の既読だったW・W・ジェイコブズの「猿の手」は改めて読み直してみても、やっぱり名作だねと実感する。
そういえばすっかり忘れていたが、フレドリック・ブラウンの『手斧が首を切りにきた』の時にもちょっと触れた、L・P・ハートリーの「豪州からの客」も収録されていた。マザーグースの「手斧が首を切りにきた」がどのような使われ方をしているのかと思ったら、サスペンスを盛り上げる形の使われ方だったのがちょっと期待はずれでもあるけれども、短編では仕方が無いか。
基本的にオーソドックスな怪奇小説が多いんだけれども、ところどころでちょっとひねった話が選ばれていて、最後のM・R・ジェイムズの「古代文字の秘法」はなかなか面白い。呪いに対しての呪い返しといった趣向で唯一主人公が不幸にならない話だ。
そして、解説でも書かれているように、トーベ・ヤンソンの「黒と白」の中でゴーリーがモデルとされる画家が手がけている本がこの本だ。
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