山田太一というと『岸辺のアルバム』か『ふぞろいの林檎たち』といったあたりが作品としてあげられるだろうけれども、僕の場合は『終わりに見た街』を真っ先に思い出す。
過去に二度ドラマ化されてその両方共観ているのだが、なんで観たのかといえば、主人公が現代から過去にタイムスリップする話だったからだ。だから、この話がタイムスリップする話でななかったら、多分観ていなかっただろう。
今からしてみれば、それほど独創的な話ではないのだが、最初のドラマが1982年だったわけで、まだ高校生だった僕にとっては結構衝撃的な話だった。
で、なんでこんな話を書いたのかというと、このドラマには山田太一自身による原作の小説があって、小学館文庫から復刊されたからだ。
脚本家とばかり思い込んでいたので山田太一が小説を書いていたということも知らなかったので、先々月出ていた『飛ぶ夢をしばらく見ない』を書店で手に取り、そこで初めて、四月、五月、六月と、三ヶ月連続して小学館文庫から山田太一の小説が復刊されていることを知ったのだ。
『飛ぶ夢をしばらく見ない』はあらすじを見る限り、若返っていく女性との恋愛の話らしい。道尾秀介が解説を書いているあたりが、なんとなく僕好みの話っぽい気もするが、それよりも気になったのは先月出た『冬の蜃気楼』のほうだった。
こちらはあらすじを見る限りどうみてもSFっぽい設定ではない。『飛ぶ夢をしばらく見ない』も『終わりに見た街』もSF的な設定があって、そちらのほうが僕好みであるはずなんだけれども、なんとなく気になるのは『冬の蜃気楼』のほうだった。
映画の撮影を主題とした物語が好きだというせいもある。もちろんこの物語が映画撮影を主題とした物語なのかどうかは読んでみなければわからない。
主人公は20代の映画助監督、そしてその主人公に大根役者の中年男、10代の新人女優の二人が関わりあいを持つことになるのだが、時代は1958年、すでに映画産業は斜陽化の兆しを見せ始め、そんな退廃的な雰囲気の中で、淡々と物語は進む。
終盤になってようやく急展開を見せるのだけれども、最終章、いきなり時代は33年後に飛び、彼らは再開を果たすのだが、そこでいきなり主人公が信頼できない語り手と化す。それまでの視点は助監督である主人公の視点で、そして最終章も助監督の視点なのだが、最終章で明らかにされるのはなにが真実なのかわからないあいまいな彼らの記憶なのである。
映画が記録であるとすれば、その映画を題材にしながら、記録ではない物語を山田太一は小説として描いている。
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