高野秀行の『イスラム飲酒紀行』を読んだ。
ノンフィクション作家の高野秀行がイスラム圏で取材をしにいって、なんだかんだいって酒を飲もうとする話だ。
もちろん、本来の目的は酒を飲むことではなく、その国の取材なんだろうけれども、高野秀行の行動はそんな方向になど全くといっていいほど向かわず、基本的に酒が禁止されている国で、とにかく酒を飲もうとして酒探しに翻弄する展開に終始する。ただでさえ高野秀行の語り口は面白いのだから酒をめぐる話が面白くならないわけがなく楽しませてくれた。
僕も酒は好きだ。
飲むことが好きというよりも酩酊状態、つまり酔っ払うことが好きなのだ。
だからといって酒が強いわけでもないので、自分のペースで飲みたいのだが、社会人ともなるとそうもいってはいられない事が多く、そういう場合はできるだけ早い段階でウイスキーをロックで飲むようにした。
こうすると大抵の人は、お、こいつ飲兵衛だな、と思い、それ以降はあまり無理強いをしてこなくなる。ほっといても飲むやつだと思わせたらこっちのものだ。
あとは自分の好きなペースで酔っ払うことができるのである。
しかし、外で酒を飲むことは妻が病気になってから止めてしまった。
酔えばそれまで理性で抑えていた感情が溢れだしてしまうかもしれず、そうなったら多分、僕は泣き出すだろう。
飲みたい酒を好きなときに好きなだけ飲むことができなくなったのは少し辛いけれども、飲むことを止めて一年ほどしたらある程度は馴れることができるようになった。
昔の自分を知っている人は不思議に思うみたいだけれども、飲まなくなった理由を正直に話したところで場をしらけさせるだけだ。そういう時には、歳を取ったら飲むことができなくなってしまった。というとたいてい納得してくれる。
歳をとるということも、こういう利点があるので助かっている。
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