敬称を付けない

ブログを書く時、原則として僕は知人以外の有名人に関しては敬称を省略して書くことにしている。
有名人であっても、いや有名人だからこそ敬称を付けるべきだろうという意見も理解できるのだが、ではどういう敬称をつければいいのかとなると僕は悩んでしまうのだ。
例えば存命の人の場合、単純にさんづけでいいのかというとなかなか難しい。その相手が日本人の場合はさんづけでも不自然ではないが外国人の場合、例えばアメリカ人の場合、○○さんでいいのか、それともミスター○○の方がいいのか悩んでしまう。そもそも、名前をカタカナにしてしまっていいのかという問題もある。本来ならばカタカナになどせずにその国の言葉の表記で書くほうが正しいはずで、そうなると、単純にさんづけはおかしいのではないかと思ってしまう。しかし、読んでもらうということを考えるとカタカナに直したほうが親切だし、だったら敬称を無くしてしまったほうが何も悩まなくて済むのではないかと思う。ま、カタカナにする場合はする場合で表記の揺れというものがあるのだが、カタカナにする時点ですでに正確ではなくなっているし、誰のことを指し示しているのかが判ればいいだろうという観点にたっている。
話がそれてしまったので元に戻すと、さらにいえば、相手が善人である場合は敬称を付けても何の問題もないが、悪人だった場合は付けてしまうと逆にその人の行為を認めているようにも受け取られてしまう。かといって善悪の判断が微妙な場合、つまりどちらの立場に立つかによって善悪が分かれてしまう人の場合、まずは書き手の判断基準を明確にしておかなければいけなくなるのではないだろうかと思う。
歴史上の人物に関しても同様だ。たとえば徳川家康の場合、徳川家康さんと書くのはちょっと馴れ馴れしすぎる気もする。かといって、徳川家康公と書くのは、妥当なところかもしれないが、僕自身の祖先はおそらくは農民だし、祖先はともかくとして僕自身の身分という点で考えると大した身分の持ち主ではない。世が世ならば僕ごときの身分のものが徳川家康のことを徳川家康公なとど言うことすらおこがましい、というか当時だったら、公然と徳川家康公などと名前で呼んだのであれば、たとえ公と付けていたとしても僕の首が飛んでいただろう。なのでより正確を期すならば公方様と呼ぶのが多分いちばん正解に近いのだろうけれども、これでは誰のことを指しているのかわからなくなってしまう。
もっとも、現代では公を付けて呼ぶのが正しいのだという意見もあるかもしれないが、だったら、僕自身は徳川家康のことを特別に尊敬していたり敬っているわけでもないので、公を付ける必要もないのではないだろうか。さらにいえば、僕が仮に豊臣秀吉の子孫だったとしたら、徳川家康公などとはよびたくはないだろうな、ケツの穴の小さい話だけれども。
こんなふうに敬称で悩むくらいならば全て敬称を省略してしまったほうが潔いし、なにも悩まなくて済むのではないだろうか。逆に付けなければいけない敬称が決まっている場合は悩む必用がないので付けることにしている。
そんな風に考えているので知人以外の有名人に関しては原則として敬称を省略して書くことにしている。知人以外の無名の人に関しては、そういう人の名前を出すことはしないのでそもそも敬称を付けるも付けないもない。

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