自分ではあまり意識していなかったけれども、来年は五十の大台にのる。
いつ死んでもかまわない気持ちでいるので五十歳になったからといってどうだというわけではないが、さすがに若い頃に比べて死ぬ確率は高くなる。
妻よりも後に死ぬのであれば構わないが、先に死んでしまうとなると、いろいろと妻にやってもらわないといけない手続きが発生する。
葬式などはしなくてもよくって火葬して海にでも散骨でもしてもらえればいいのだが、公共的な手続きや日々の支払いなどは決められた手続きをしなければならない。
というわけで、万が一先に死んだ時に妻に最低限やって欲しい手続きを一覧にして細かな説明を書こうとしたのだが、これが凄くめんどくさい。
いっその事、弁護士にでも後を託そうかとも思ったりもしたけれども、それでもリスト化はしなくてはいけないし、何をどうするかも書いておかなければいけない、ということを考えると他人に任せても楽になるわけでもない。
というわけで、これじゃあおいそれと死ぬわけにはいかんじゃないか、いや死ぬよりも生きていたほうが楽ではないかという結論になる。
他の人はどうかはわからないけれども、僕は五十歳になるのが待ち遠しくてたまらない。
四十九歳とくらべると、五十歳というのは二桁目が変わるのでなんとなく大幅にレベルアップした感じがするのだ。
五十歳になるだけでこんなにレベルアップ感が高いのだから六十歳になるともっとレベルアップした感じが高くなるに違いない。
もっとも逆に、そのあたりになると悟りきった境地になって、そんなことなどどうでもよくなるかもしれないが、それはそれでまた楽しそうな境地だ。
という文章を書いたのは一年近く昔のことだ。ほんとうだったら一年前にブログ記事として公開しておくべきなのだが、他のことを書いているうちに一年近くも経ってしまい、いつの間にか五十歳になってしまっていた。
で、五十歳になってレベルアップした感じがしたかといえばそんなことはなく、レベルアップのファンファーレの音が鳴り響いたわけでもなく、ようするにそんなに激的な変化が訪れたというわけでもなく、いつもと変わりのない一日であった。
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