不自由を常と思えば不足なし

僕は徳川家康はそれほど好きでもないし、尊敬しているわけでもないのだが、徳川家康の残した人生訓、東照宮遺訓は好きだ。
僕が小学生の頃、何かのイベントで、昔の偉人の声を再現したソノシートを貰ったことがある。って今となってはソノシートを知らない人も多いだろうけれども、薄い樹脂でできたペラペラのレコードのことだ。
で、再現した偉人の声の中に徳川家康が入っていた。他にエイブラハム・リンカーンもあって、もう一人くらいいたはずだけれども、残りの一人は忘れてしまった。
リンカーンはあの有名なゲティスバーグでの演説の内容をしゃべっていて、徳川家康は人生訓をしゃべっていた。

人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

である。
もちろんこの後にも言葉は続くのだが、喋っている徳川家康の声が本物と同じかどうかはさておいて、小学生の自分にもこの言葉はずしりと響いて、今でも僕にとっての人生訓のひとつとなっている。
ものの見方を変えれば、この言葉、上から目線というか為政者から庶民に向けた言葉のようにも捉えることができる。
つまり、お前ら民衆は重税に苦しんでもそれを当然のごとく受け止めろ。
ということである。
もっともこの言葉、徳川家康が庶民に対して言った言葉ではなく、身内つまり子孫にに対して言った言葉なので、そういう意味に捉えるのは間違いだろう。
しかしその一方でこの言葉、徳川家康が残した言葉ではないという説もある。誰が書いた言葉なのかというよりも内容のほうが僕にとっては重要なのでその真偽に関してはここではこれ以上触れないが、子孫に対して言った言葉ではないとすると、先に書いたように、為政者から民衆に対しての言葉としても捉えることができるのではないかと思うのだ。

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