嵐が去るまで

夫婦というものは苦楽を共にするという。
いうなれば一心同体というもので、多分、長い年月をかけてお互いに相手を自分と同化していくものなのだろう。
妻が統合失調症になるまではそんな風に思っていた。
苦しんでいる妻に対して楽しいことを共にするのであればまだしも、苦しみは共にさせたくはない。
その時点で、夫婦ではなく親子に近い関係になってしまったのだろうと思う。
夫婦でありながら、親子である。
共に暮らしていながら、自分だけが不幸になってしまった妻は僕に対して嫉妬の感情を見せることがある。
なので、楽しみでさえ共にすることも困難だ。
夫婦であるということを意識すると何もできなくなる。
だから少しずつそんなことは考えないようにしてきたのだが、時として耐え難い悲しみに襲われることがある。
そんな時は、何もできず、ただ悲しみの嵐が過ぎ去ってくれるのを待つしかない。

コメント

  1. ふらりん より:

    きっとね、奥様も言葉には出せないけれど同じ思いなのだと思います。
    夫婦だからこそ共有できる思い、嫉妬・・愛憎は紙一重なのでしょう。
    一緒に生きようと誓った相手、私も彼の悪性癌の看護をしながら
    無力さや小さな嬉しさの積み重ねで日々を過ごしてきました。
    相手からの切ない嵐はやり過ごすしかありません。
    でも奥様も闘っていらっしゃるのです。
    心に寄り添う・・難しいけれど相手が生きているから出来ることです。
    春になり少しでも和らぎの日々が送れますように。

  2. Takeman より:

    ふらりんさん、そうですね、自分よりも妻のほうが苦しいのはよくわかっているのですが、時々どうしても辛くなってしまう事があります。
    まだまだ修行不足ですね。

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