失ってしまった気持ちと出会う

書店で本を買い、レジで精算していたら店員さんがいきなり
「あ、自分の誕生日だ」と言った。
レジの金額を見ると629円、どうやら6月29日がこの店員さんの誕生日らしいのだが、可愛い女の子がそう言ったのであれば、そこから話に花でも咲かせようという気にもなるけれども、あいにく僕の前にいるのはちょっと石川遼に似ている少年だった。
本音をいえば急いでいたのでとっとと精算して店を出たかったのだけれども、
「うれしいな、誕生日と同じ金額の買い物をしてくれるなんて」
などと、僕が遥か遠い昔にどこかへ置き忘れてしまった純真さをあふれさせて万全の笑みでもって喜んでいるので、無碍にするわけにもいかず、ニッコリと笑顔で答えるしかなかった。
この店員さんはこのほかにも、僕が上下巻の本と別の本の計3冊を買ったときに、僕はたまたま上下巻の本の間にもう一冊の本を入れた形、上巻+他の本+下巻という状態でレジで精算すると、袋に入れるときにわざわざご丁寧に本の順番を並び替え、上巻+下巻+他の本という形にして袋に入れてくれ、さわやかな笑顔で「並び替えておきました」と言ってくれたことがある。
申し訳ないが、本の順番など僕にとってはどうでもよいことで、というか僕は本を読む時に、まずあとがきから最初に読むので、どちらかといえば、他の本+下巻+上巻となったほうが自分には好都合なのだが、それさえもどうでもよいことで、しかし、せっかく親切に並び替えてくれたのだから、ありがとうの一言でもいうのが大人としての正しい態度なのかもしれないと思い、お礼を言った。
しかし、この無意味な彼の努力を肯定するのはよかったのかどうなのか、時々疑問に思うのである。
引っ越しをして遠くなってしまったためこの書店に寄ることはなくなってしまったのだが、今も彼は純真さと共にあの書店で働いているのであろうか。

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