今村夏子と僕は同じ世界に生きていて、同じ世界を見ているはずなのに、今村夏子が書く世界はどうしてこんなにも僕が見えている世界と違うのだろう。
どうしてこの世界をこういうふうに書くことができるのだろう。
今村夏子の小説を読むとそう感じてしまう。
けっして難しい世界を書いているわけでもなく、めずらしい世界を書いているわけでもない。どこにでもあるような世界の話を書いている。なのにどうしてこんなふうに書くことができるのだろうか。
「あひる」は父親が知り合いから譲り受けたあひるを飼う話だが、そのあひるは近所の子供達の人気者になってしまい、日々、主人公の家には子どもたちがあひるを見にやってくるようになる。とそこまではいいのだが、そこからちょっと不穏な展開をする。それは子どもたちを悲しませないための行動でもあるが、しかし内面が描かれていないので違う意味での行動なのかもしれない。
僕が一番驚いたのは、打ちのめされたのは「おばあちゃんの家」だ。
主人公の家には離れがあってそこには血のつながらないおばあちゃんが住んでいた。主人公はおばあちゃんになついていて、学校から帰ってきておばあちゃんの家に入り浸ったりしている。この物語でも不穏な要素はあって、そもそもこのおばあちゃんは主人公一家とはだれとも血のつながりのないのだ。物語が進んでいくとおばあちゃんはおかしな行動をし始める。単純にとらえればそれは認知症の傾向といえるのだが、そうともいいきれない部分がある。
登場人物の一人が言う「どんどん元気になっていく」という言葉は僕にとって衝撃的だった。
「森の兄妹」は「おばあちゃんの家」と対になる話で、とある兄妹の視点からおばあちゃんが描かれる。「おばあちゃんの家」での不審な行動の真相が「森の兄妹」であきらかになるなどして一筋縄ではいかない話なのだが、ラストに救いがある。
『あひる』今村夏子

コメント