『ゴーストダンス』スーザン・プライス

前二作では現実の世界との接点はまったくなかったのだが、最終作ではイギリス人が登場する。
彼は魔法使いだと偽り、自分は悪魔を召喚することがができ、そして悪魔から不老不死の妙薬である命の水の作り方を聞き出すことができると皇帝に取り入る。
いかにファンタジーの世界であるこの物語においても作中でのイギリスには魔法使いは存在しない。だから彼は魔法ではなく様々な手品を用いて皇帝を騙すのである。
ここにきてなぜイギリスという国が登場、いや、この物語の世界が現実の世界と結びつこうとしたのだろうか。
児童向けのファンタジーでありながらまったくといっていいほど夢も希望も描かなかったゴーストドラムの世界を、おそらくはもっと現実に、読み手にもっと身近な世界に感じさせるためだったのだろうと思う。
それはさておいて、最終作でも魔法使いは登場する。しかし主人公となる魔法使いはまだ少女でありそして見習いにすぎない。彼女が本当の魔法使いになる前に師匠の魔法使いの寿命が尽きてしまったためだ。そして彼女はこの世界をより良い世界にしようと考える。この世界が苦しみと悲しみに満ちているのは皇帝がいるからだと考える。
この世をより良い世界にするために彼女は持てる魔法の全てを使い、皇帝に慈悲の心を植え付けさせようとするのだが、皇帝の心は彼女の魔法では太刀打ちできないほど無慈悲だった。
まったくもって夢も希望も与えない物語だ。
そもそも皇帝は自分に逆らう者は処刑させるし、それ以外のことに関しても罪を犯したものは、それがどんな些細な罪であったとしても死罪を申し渡す。民を苦しめるその行いは悪であるといえばそうなのだが、それが当たり前のごとく描かれているので悪と感じさせない部分もある。単純な善と悪との戦いというわけではないと同時に善と悪は表裏一体であることも表している。

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