浅倉 久志著
言うなればご祝儀みたいなものだ。
訳した本のあとがきもしくは解説が半数以上を占め、それ以外の文章に関してもかなり既読率が高い。巻末の翻訳リストは壮観で見応えがあるのだけれども、何かの役に立つ確率はかなり低い。浅倉久志の訳した小説を全部読んでやろうと思う人なら役に立つけど、そもそも翻訳本を読むときに翻訳者を意識したって選択肢がある本なんて数少ない。
思うに私が翻訳者の存在を意識したのはいつの頃からだろうか。翻訳小説を読み出したころは作家は意識しても翻訳者は意識などしなかったはずだ。今だって意識するのは読みづらかった時ぐらいなんだけど、それだって翻訳が悪いのかそれとも原文からして読みづらいのかなどと考える前に自分の読解力を疑った方が手っ取り早いし、その可能性が一番高い。
まあそれはともかく初めて意識したのはおそらくは奇想天外社の「SFゴタゴタ資料大全集」に収録されたSF人名辞典の以下の項目を見たことからなんだと思う。
訳した本のあとがきもしくは解説が半数以上を占め、それ以外の文章に関してもかなり既読率が高い。巻末の翻訳リストは壮観で見応えがあるのだけれども、何かの役に立つ確率はかなり低い。浅倉久志の訳した小説を全部読んでやろうと思う人なら役に立つけど、そもそも翻訳本を読むときに翻訳者を意識したって選択肢がある本なんて数少ない。
思うに私が翻訳者の存在を意識したのはいつの頃からだろうか。翻訳小説を読み出したころは作家は意識しても翻訳者は意識などしなかったはずだ。今だって意識するのは読みづらかった時ぐらいなんだけど、それだって翻訳が悪いのかそれとも原文からして読みづらいのかなどと考える前に自分の読解力を疑った方が手っ取り早いし、その可能性が一番高い。
まあそれはともかく初めて意識したのはおそらくは奇想天外社の「SFゴタゴタ資料大全集」に収録されたSF人名辞典の以下の項目を見たことからなんだと思う。
【浅倉久志】
アーサー・C・クラークの別名
現物がすぐ探せる場所にないので正確な引用じゃないんだけど、こんな風に書かれたら意識しない方がどうかしている。
ようするに理屈じゃないんだよ、本を買うってことはさ。
全部読んでいて、読み返してみてもほとんど内容覚えているジャック・ヴァンスのあとがきにしたってバラで読むのとまとめて読むのとでは大違い。ジャック・ヴァンスに関する文章を数十ページも読めるなんてなんて贅沢なことなんだろうか。
例えるならば、ヤクルトを毎日一本ずつ一週間飲むのに対して、七本を大きなコップに入れて一気のみすることのような違いとでも言おうか。こんなことしたら体に悪いかもしれないというような感じの背徳感さえどことなく漂ってくる。
いい本だなあ。
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