ジェフリー・A.ランディス著 / 小野田 和子訳
1969年、アポロ11号が月着陸を果たしたとき、SFの役目は終わったというようなことがささやかれた。
J・G・バラードは「SFが 真に描くべきは宇宙への冒険ではなく、人間の内宇宙だ」と言った。
そもそも宇宙を探査するのに有人である必要など無く、無人で十分という意見もある。
確かに、無人の方がコストがかからないし、人間が出向かなくても機械にまかせておけば大抵のことはできてしまうだろう。無人の方が合理的だっていう理屈はよくわかるんですよ。
しかし……。昔、人は月まで行ったかもしれないけれど、今じゃその距離のわずか十分の一以下の距離、ほとんど地球の表面にすぎない所をうろちょろしているだけにすぎないわけで、バラードがなんて言おうが目指すは外宇宙であって、やっぱり宇宙に飛び出すことは浪漫なのだ。
というわけで「火星縦断」は燃える。
話そのものはきわめて単純、あらかじめ用意してあった地球帰還船が事故で使えなくなってしまったため、失敗した第一次探検隊が残した帰還船を使って帰還しようとする話。しかしその帰還船がある場所までたどり着くためには六千マイルの距離を踏破しなければならなく、しかも帰還船の定員は二名であるのに対して隊員は五人、たどり着いても三人は助からない。
あくまで実現可能な技術を土台としたこの物語は、SFというよりも単なるサバイバル小説にすぎないと言う気もしないでもないけれど、それをいうならキャンベルの「月は地獄だ!」だってそうだし、火星でサバイバルといえばレックス・ゴードンの「宇宙人フライデー」だってそうじゃないか。なんといっても、六千マイルの距離を踏破しなければならないという設定はジャック・ヴァンスの「大いなる惑星」を彷彿させてくれる設定で、火星と六千マイル踏破の二つの設定だけでオレ的には十分SFである。そしてラストの一文が追い打ちをかけて泣かせる。
ミッションとしては大失敗する話だし、この設定上における宇宙開発の見通しはお世辞にも明るいとはいえない。しかしそんなことは乗り越えればいいだけの話なのだ。
J・G・バラードは「SFが 真に描くべきは宇宙への冒険ではなく、人間の内宇宙だ」と言った。
そもそも宇宙を探査するのに有人である必要など無く、無人で十分という意見もある。
確かに、無人の方がコストがかからないし、人間が出向かなくても機械にまかせておけば大抵のことはできてしまうだろう。無人の方が合理的だっていう理屈はよくわかるんですよ。
しかし……。昔、人は月まで行ったかもしれないけれど、今じゃその距離のわずか十分の一以下の距離、ほとんど地球の表面にすぎない所をうろちょろしているだけにすぎないわけで、バラードがなんて言おうが目指すは外宇宙であって、やっぱり宇宙に飛び出すことは浪漫なのだ。
というわけで「火星縦断」は燃える。
話そのものはきわめて単純、あらかじめ用意してあった地球帰還船が事故で使えなくなってしまったため、失敗した第一次探検隊が残した帰還船を使って帰還しようとする話。しかしその帰還船がある場所までたどり着くためには六千マイルの距離を踏破しなければならなく、しかも帰還船の定員は二名であるのに対して隊員は五人、たどり着いても三人は助からない。
あくまで実現可能な技術を土台としたこの物語は、SFというよりも単なるサバイバル小説にすぎないと言う気もしないでもないけれど、それをいうならキャンベルの「月は地獄だ!」だってそうだし、火星でサバイバルといえばレックス・ゴードンの「宇宙人フライデー」だってそうじゃないか。なんといっても、六千マイルの距離を踏破しなければならないという設定はジャック・ヴァンスの「大いなる惑星」を彷彿させてくれる設定で、火星と六千マイル踏破の二つの設定だけでオレ的には十分SFである。そしてラストの一文が追い打ちをかけて泣かせる。
ミッションとしては大失敗する話だし、この設定上における宇宙開発の見通しはお世辞にも明るいとはいえない。しかしそんなことは乗り越えればいいだけの話なのだ。
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