共感覚

藤崎慎吾の「ハイドゥナン」を週末に読み切ろうとしたのですが、上下巻2段組の合わせて950ページとなると、家に引きこもって集中して読まない限り無理でした。
読み切れなかったということはさておき…
「共感覚」というものがあるということは数年前に何かの本を読んで知っていたのですが、この本の中で「共感覚」が登場し、「共感覚」というものは年を取るにつれて次第に消えていくと書かれていて、なるほどなるほどと思ったわけです。
「共感覚」ってのは「一つの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる」こと、簡単に言えば、文字の形や音から色が見えたり、見ただけで触ってもいないのに触感を感じたりすることであります。
なんでこんな話になったのかというと、私も字を見ると色が見えるからなんですが、はっきりと色が見えるわけでもなく、ある程度意識しないと駄目なので、「共感覚」といえるのかどうかはっきりしませんが…
しかし、字を見ると色が見えるからといって別に不便だったり困ったりすることは無く、逆に得することもないのですが、本を読んでいて登場人物の名前を覚えなくてもすむということが便利といえば便利な点です。
色が見えるといっても字そのものに色が付いているわけではなく、字を見ると頭の奥で色が点灯するといったほうが近く、たとえば私の場合、「鈴木」という文字を見ると暗いオレンジ、「佐藤」の場合は薄い桃色が点灯するわけです。実際はもう少し複雑な色ですが。
翻訳物を読むときなど、不慣れな外国人の名前を覚えなくても色を覚えてしまえば済むので、わりと役立っていたりもします。まあそれだけですけど。
最近、登場人物の区別で苦労することが多くなってきたのも、年をとって「共感覚」が失われてきたせいなのかなと、ふと思ったのですが、これは単に読解力が衰えただけなのかもしれません。

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