『失われたものたちの国で』深沢レナ

本を読むときに、そこに書かれている内容をどうやって理解するか。
僕の場合は理屈を手がかりに書かれた内容を理解しようとする。
小さい頃からSFや本格ミステリ小説が好きだったのは理屈を手がかりに読むことができた、というのも大きいいのだろうとおもう。
だから自分のなかの理屈が通用しない本というのは苦手で、それは自分に知識がないから理屈で理解できないというものもそうだが、知識とは無関係に理屈が通用しない本もある。
深沢レナの『失われたものたちの国で』は物語というよりは詩あるいは散文といったほうがいいのかもしれないけれども、僕の持ち得る理屈では読み解くことができない本だ。
山尾悠子の『飛ぶ孔雀』もそうで、書かれている事柄を理屈でつなぎ合わせようとするとさっぱりとつなぎ合わない。かといって理屈に合わないでたらめなことが書かれているというわけでもない。
『失われたものたちの国で』を『飛ぶ孔雀』と比較するというのは間違いだろうけれども、自分の中の理屈で書かれていることをつなぎ合わせることができないという点では僕にとっては両方共同じだ。
『飛ぶ孔雀』は堅牢だが、『失われたものたちの国で』は壊れやすい。自分の中の理屈に当てはめようとすると文章そのものが壊れてしまいそうである。
やっかいなんだけれども、そこが面白い。

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