彼は手と手を合わせた相手の死の瞬間を視ることができる。
生まれつきそんな力をもっていた。
そして彼は現在、救命士として人を助けることを仕事としている。
しかし、彼が視たその人の死は決定的で彼がどんなことをしても彼が視た死を防ぐことはできない。
触れた人の死の瞬間を見ることができるという設定と救命士という組み合わせはなかなかおもしろいけれども、そこで彼が見た未来は決定的で、つまり彼が救急隊員として助けようとする人が助かるのか助からないのかは見た瞬間にわかってしまうというのは物語として成立させるのは難しい。
ここで彼の努力によって助けることができるというのであればまだしも、彼はただ見るだけで、そしてその人の死の瞬間が数時間後の映像であれば、彼がいまここでその人を助けようとする努力も無意味となってしまうのだ。
もちろん作者もそんなことは了解のうえでのことで、主人公が助けることができるかできないのかという部分に物語の焦点があたるわけではなく、少し違う部分がこの物語の焦点となっている。
中心となるのは血のつながらない彼の姉への彼自身の思いと彼女が一年後に死んでしまうということを知ってしまっている彼自身の思いの物語だ。
彼の見た死は決定的な未来でしかしそれでも彼は彼女を助けることができないものかと努力し続ける。その一方で助けることができないのであれば、その時が訪れるその瞬間まで彼女を愛し続けようと決める。
いつか訪れる死を確実に訪れる死に変えて、大切な人の死をどう受け止めて生き続けるのか。
ここから先は、結末に触れる。
決定論的な未来に対して主人公が見たものが姉の死であればお姉さんは亡くなって終りとなる。のだが、この物語は最後にそれをひっくり返して終わる。
この物語が着地した結末は、人によってはずるいと思うかもしれない。しかし物語の途中で、タイトルにある4分間の意味が語られる。この4分間とは、心肺停止から4分後に心臓が動いた場合の生存確率が50%であるところから来ている。この50%という部分がいわば曲者で、助かるかどうかは五分五分である。そして姉が助かった後、主人公は未来を視る能力を失ってしまう。本来あるべき形を変えてしまったためにその能力を失ってしまったと考えれば、あるいは能力を失う代償と引き換えに未来を変えることができたと考えれば、この結末は悪くはないと思うのである。
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