くじけない理由

先日、僕のブログを読んでくれている人と出会う機会があった。
滅多にない、というよりも初めてである。
僕自身がそういう出会える場所に行くということがないせいなのだが、その一方ではまぞうの中の人なので、何かの用事ではまぞうに来てくれれば出会う機会はある。
その人もはまぞうに来てくれていたので出会うことになったのだが、しかし、僕の方は相手の顔をブログで知っていたので、○○さんだ。とわかっていても、相手の方は僕の顔を知らないので気づくはずもなく、一方的な邂逅で終わるものだと思っていた。しかし僕に会いたいとわざわざ言ってくれたのである。
少しばかり話をしたのだが、その時、どうしてそんなに強いのか、くじけないでいられるのかと聞かれた。
妻が統合失調症ということで、僕のブログを通じて、僕が強い人間であるとそう思われたようだ。
いままで自分が強いと思ったことなどなかったので意外な質問だった。
おまけにくじけないでいられることなどない。いつもくじけている。
でも、日常生活をなんとか送っているということは、くじけないでいるということなのかもしれない。
とはいえども、自分でも考えたことなどなかったので、そのときは、今よりももっと辛い時があったのでそれを思えばくじけないでいられる。というふうに答えた。
確かに妻が統合失調症を発症した当時に比べればはるかにましである。しかし、あとになってこの答えを考えてみると、やっぱり少し違う気がする。
今よりももっと辛い時があったから耐えることができるのかといえば必ずしもそうでもないだろう。
多分、今、僕がくじけないでいられるのは、くじけなければいけない理由がないせいなのだろう。
なんだか禅問答あるいは逆説めいた答えだが、くじける理由がある時はくじけているのだ。だからくじけないでいられるときは、単に、くじける理由がないだけなのだろう。
悲しんでいない時は、悲しむ理由がないだけであって、くじけたり、悲しんだりする理由は突然どこからともなくやってくる。
くじけていないからくじけそうになっていないわけではなく、くじける理由がそこにないだけなのだ。
そんなふうに思っている。

コメント

  1. 五十八 より:

    【くじける理由がないだけ・・・・」
    なんか、わかったような。わかんないような。
    でもやっぱり「強いんだ」と思いますよ。
    そう思っていつも読ませていただいております。
    勝手ながら・・・・

  2. Takeman より:

    五十八さん、コメントありがとうございます。
    頑張ろうと思うとどこかでくじけてしまいますね。
    ほどほどでいいや、と思うと少し楽になります。

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