差別する気持ちというのは誰のなかにもあると思う。僕自身も例外ではない。
妻が統合失調症と診断された時、妻と二人で駐車場を歩いていた時、妻の側を車が通り抜けた時、このまま車に惹かれてくれたら、と僕は思ってしまった。
妻を閉鎖病棟に入院させた時、妻に会いに閉鎖病棟に入った時、そこにいる入院患者に対して恐れと恐怖を感じてしまった。
誰の心のなかにも差別の種子はある。
僕の中にある差別の種子はコミュニケーションを取ることのできない存在に対しての恐れだと思っている。
自分と異なる存在に対する恐れ、もしくはそれを自分から遠ざけておきたいという感情は、これは本能的なもので、本能的なものを消し去るというのは難しい。しかしそれは理性でもって抑えることは出来ると思う。
だから僕は自分の中にある差別の種子が芽を出さないように心がけようとしている。
差別の種子となり得る事柄というのはもう一つある。それは無知からくる差別だ。
僕は昭和41年の生まれである。
この年に生まれた人はその前の年に比べて極端に少ない。
昭和40年の出生数は182万人であるのに対して、昭和41年は136万人。そして次の年になると193万人と増加している。昭和41年だけ極端に少ないのである。
それが何故なのかといえば、この年が丙午の年で、丙午の年に生まれた女の子は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信から来ている。中国でさえ一人っ子政策という国家政策レベルの行為をしなければ人口抑制できなかったことなのに、日本ではたったひとつの迷信で46万人規模の人口抑制が働いたのだ。
もっとも、丙午生まれということで何らかの差別を受けたという記憶は僕にはない。男だったからかもしれないので、女の子だったら何かしらの偏見を持たれた可能性もあるかもしれない。あるいは子を産む母親の立場だったとしたら差別はあったのかもしれない。
丙午は60年に一度の周期で回ってくるので、次の丙午は2026年だ。この迷信が蘇るのかどうかはわからないが、僕の生まれた年のようなことは起こらないだろうと思っている。
もうひとつ。
僕は左利きである。
いまでこそ、左利きは当然のこととして受け止められている(と思っている)のだが、僕の子供の頃はそうではなかった。
右効きに矯正させられた同級生はいたし、左利きなど人間ではないと当然のごとく言う人もいた。
左利きがなぜそこまで忌み嫌われていたのかはよくわからない。多分、身近なところにある異物の一つとして、排除させられてきたのだろう。
しかし、左利きが生物学的に不自然な存在なのかといえばそういうわけではない。
左利きに対する偏見や差別は少なくなってきた。10年後に訪れる丙午の年も、丙午の迷信がまた芽を出すだろうけれども、差別の花が開き実がなるところまでいくとは思えない。
だから、僕は差別の種子の芽が出ることを押さえることはできるのだと信じている。
コメント