ドラマなどで描かれる精神科の診療というのは一回の受診時間がかなり長く、カウンセリング的なことまで行なっていることがたまにある。
僕自身も実際に妻の精神科の受診に付き添い、実際の診療を体験をするまで、いや体験してしばらくのあいだはそういうことが行われるものだと思っていた。
なので、次第に診察時間が短くなり、カウンセリング的なことはいつまでたっても行われず、かといって、そのことを妻のいる前で医師に問いかけるようなことをした結果、妻が医師に対して不信感を持ってしまったとしたらすべてが台無しになってしまう恐れもあって、問いかけることがなかなかできなかった。
その後、いろいろな本を読み、精神科における医師の役割というのはカウンセリングにあるのではないことがわかり、僕自身が抱えていた不満は消えていった。
かといって、妻の方はどうかといえば、もう少し日常会話てきな話題をして欲しいという欲求があって、もちろん、妻の方からそのような話題を持ちかければ医師のほうも答えてくれるはずなのだが、自分から言い出すことできない妻にしてみれば、たまにはそういう話題を医師の方から持ちかけて欲しいという気持ちがあるというのはよく理解できる。
だったら、隣にいる僕がそういう話題をもちだせばいいのではないかと思う人もいるかもしれない。僕自身もそう思うこともある。しかし、これは妻の診療であって僕の診療ではない。僕がそういう話題を持ち出すのは一時的には妻にとって良いことなのかもしれないが、多分、それはあまり良いことではないのだろう。そんなふうに思っている。
コメント
私達はつい医師は科学者であり、研究者だと思いがちですが、彼らは臨床医なんでしょう、、、、。
私はメニエール病ですが、新規の医師は認めません。
紹介状はなんのためにあるのかと思うのですが、いや、紹介状に書いてある医師にさえ見てもらえません、、、。
私は都合統合失調症の方とお話する機会がありますが、貴方の話にありますように、その人には話したい事というのがあるのですが、その機会がなかなか無いようです。
素人がどうこう言えるものではないことに近年はなっているのですが、私達のコミュニケーションというのはどこにいってしまったのでしょうか。リスク、、、、。
リスクは取るのがコミュニケーションだと誰かが話していましたが、それくらいでないと、私達の問題は解決へと向かわないと思います。
カワウソ
ネコとウソさん、コメントありがとうございます。
医は仁術という言葉がありますが、大切なのは医者に治してもらうという気持ちではなく、医者と一緒に治していくという気持ちだと思っています。
そのためには相手を信頼することが必要なのですが、こればかりは当事者の問題になってしまって家族としては見守るしかありません。