『サンディエゴ・ライトフット・スー』トム・リーミィ

  • 訳: 井辻 朱美
  • 著: トム・リーミイ
  • 販売元/出版社: サンリオ
  • 発売日: 1985/10

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トム・リーミィが書いた「サンディエゴ・ライトフット・スー」という短編は僕の好きな短編の一つだ。
でも、この話を読んだのは1985年のことで、サンリオSF文庫から出た彼の短篇集『サンディエゴ・ライトフット・スー』を買って読んだ時のことだった。
そしてそれ以来再読はしていない。
というのも、話そのものは物凄くシンプルで、そして同時に再読など必要がないほどにこの物語は僕の記憶の中に残り続けたからでもある。
しかし、あれから30年近くも経過すると、細部を忘れてしまう。
そして、再読しようと思った時には時遅しで、書物の山のどこかに埋もれてしまい発掘するのも困難になってしまっていた。
でも、ふとしたことで、もう一冊入手することが出来、じゃあ読みなおしてみようと思ったところで手が止まってしまった。
というのも、いくら傑作といえども、再読すると初めて読んだ時の印象と異なり、がっかりしてしまうことがたまにあるからだ。再読してがっかりしてしまうくらいならば、再読などせずに、良い思い出として留めておいた方がいい。
そんなことを思いながら数年がたったのだけれども、今年の正月に思い切って再読することにしたのだった。
冒頭のハーラン・エリスンの暑苦しいほどの序文。ここまでトム・リーミィのことを評価しているのならば、とっとと『最後の危険なビジョン』を出して、トム・リーミィの埋もれたままになっている短編を世間に公開してくれればいいのにと文句の一つも言いたくなるが、エリスンがこの序文を書いた時にはまだ出すつもりだっただろうから文句を言っても仕方がない。
序文が終わり、トム・リーミィの最初の短編は「トウィラ」。どんな話だったのかすっかり忘れてしまっていたので初読と同じ状態で読むことが出来た。
トム・リーミィはゲイだったという話をどこかで読んだことがある。ネットで調べてみたのだが、どうにもそのことについて触れた文章を見つけることができなかったので、確証は持てないのだが、トム・リーミィの書く話というのはそう言われてみると納得できるある種の繊細さがある。それは性的なイメージ、といってもナイーブな少年が持つ、恐れを抱いた繊細な感情を起点としたイメージで、読む側も、触れたら壊れてしまうような感覚に襲われ、思わず本を持つ手の力を緩めてしまうのだ。
そしてその後に続く「ハリウッドの看板の下で」においてもその印象は変わらない。
アンファンテリブル、恐るべき子供たち物でもある「亀裂の向こう」は打って変わって突然、凶暴になった子どもたちが大人に襲いかかるというホラー物だけれども、ここでもトム・リーミィの性的なイメージは根底に流れ続けている。
ひょっとして全編、こんなイメージの作品ばかりだったのかなと思ったりもしたのだが、「ウィンドレヴン館の女主人」と「ビリー・スターを待ちながら」はそれとは違う味の短編で、ジャック・フィニィが書いてもおかしくない雰囲気の作品だ。
エリスンが貶していた「琥珀の中の昆虫」だけれども、そこまでひどい作品なのかというとそうでもなく、確かにアイデアとしては陳腐かもしれないし、終盤の展開もありふれているといえばありふれているけれども、でもトム・リーミィの描く雰囲気が好きならば許せてしまう作品だ。
ほとんどの作品は、どんな話なのか忘れてしまっていたが、唯一、表題作の他に、どんな話だったのか覚えていた「デトワイラー・ボーイ」は、再読してもやはり面白いままだった。
さて、問題は表題作の「サンディエゴ・ライトフット・スー」だ。結局、読むのは一番最後にしたのだが、恐る恐る読んでみたものの、心配など杞憂だった。
むしろ、記憶の中にあったイメージよりも面白さが倍増している。
それはたぶん、いつしか僕も主人公のスーの年齢を通り越し、スーが感じた気持ちを自分のことのように実感できるようになったからだろう。

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