妻の病気が再発して、そして引っ越しをして、引越しに伴うさまざまな手続きやら細々な問題の解決に奔走して、一時はどうなるのだろうかとも思ったのだが、少しずつ生活のリズムも安定しはじめ、妻の様態も穏やかになりつつある。
引っ越しをした結果、妻にとってはそれが良い結果に結びついたことは何よりの出来事だったが、今年の初め頃から発症しだした妻のアトピーの症状は依然として変わらず、そのことが今の時点で一番大きな問題点として残っている。できるだけストレスの少ない生活を妻に送らせてあげるようにするしかないのだろうと思う。
がしかし、そこから先へと歩み出す勇気があるのかといえば無いままだ。
妻の病状は決して良くなったというわけではないのだが、それでも穏やかな生活になった。その安定した生活が心地よいだけに、何か行動を起こそうとすればその生活が崩れてしまうのではないかという思いに襲われる。だからそこから先へと歩み出す勇気がでない。
穏やかな生活を送ることができるようになった今現在、面白いことがあれば時として笑ってしまうし、面白いことも言ってみたくもなる。
しかし、妻を再発させてしまったことに対してもそうなのだが、辛い思いをしている妻に対してすぐ隣にいながらも何もできないでいるのに、自分は楽しんでいいのだろうか、笑ってもいいのだろうかと思ってしまう。
だから、笑った後でふと我に返った時など妻に対して申し訳ない気持ちになる。
こうの史代の作品に『夕凪の街・桜の国』という漫画がある。
広島の原爆を扱った内容で、前半の「夕凪の街」は被曝しながらも生き残った女性が主人公の物語なのだが、物語の中で主人公は、亡くなった死者に対して生き残ったことを申し訳ないと考えてしまう。
初めてこの物語を読んだ時、僕はこの主人公の考えに目からうろこが落ちる思いをした。
死者が沢山出た惨事を生き残った人は、時として亡くなった人に対して後ろめたい気持ち、あるいは自分が助かったということに対して申し訳ない気持ちになるのだろう。
たぶん、僕もこの主人公と同じようなものなのかもしれない。
そしてそれでも、かまわないと思っている。
ブログを書こうと思っても、書きたい事柄が頭のなかにはあるのだが、それを言葉にしはじめようとすると文章を書くことは嫌いでないだけに、こんなことをしていてもいいのだろうかという気持ちに襲われ、言葉はそれ以上続かなくなってしまう。
断片的にしか書かれない文章は見るも無残な言葉の残骸で、何日もかけて継ぎ足して、そして何度も何度も手直しをして、ようやくこの程度の文章にしかなることができない。
コメント
落ち着いてきて 本当に何よりです・・・・・僕もアトピーなのですが・・・皮膚科で 貰うお薬で一応なんとかなっています・・・・・
コメントありがとうございます。
落ち着いてきたのは何よりなのですが、妻の場合、薬は害悪だという考えが根底にあるのでなかなかままならない部分もあります。
まあ、薬で全て良くなるというわけでもないのですが、それでも要は使い方しだいなので、もうすこし融通を効かせてくれればと思っているのですけれども難しいですね。
当事者から見れば・・・・・お薬に対して 少なからず懐疑的になることは間違いないです・・・少なからず僕も そうでした・・・・ですが 症状が重い場合には 今の所 お薬に頼ってもいいと思います・・・・奥さんの意見を尊重するのなら・・・認知行動法などの治療法を試してもいいのかもしれません・・・・
薬を飲むことで症状が劇的に良くなるというのであれば飲んでくれると思うのですが、そうではないので、やはり懐疑的になるのは仕方がないですよね。それはよくわかります。
認知行動療法は認知という言葉に否定的なイメージを持っていて、多分認知症と結びつけてしまうんでしょうけれども、ダメでした。
森田遼法など いろいろな心理療法があるので 奥さんに合った物がきっと見つかると思います・・
雰囲気がよさげなクリニックを探してもいいと思われます・・・・
周りが強制してもダメなので、いろいろと手探りしながらなのですが、いい方法を見つけていきたいとは思っています。