『京城・昭和六十二年―碑銘を求めて』卜鉅一

このブログのカテゴリは出版社とレーベルになっている。こうして眺めてみるとかなり沢山の出版社とレーベルがあるものだと思うのだが、これでもごく一部にすぎない。
消えてしまった出版社やレーベルもあるのだが、中には消えてなくても、もうこの先この出版社の本を読むことはないだろうと思う出版社もある。
成甲書房の本を読むことは多分もうないだろう。
SF小説として書かれたわけではないだろうけれども、この本は歴史改変SFとしてかなりの異色作だろう。
伊藤博文の暗殺が失敗していたらどうなっていただろうというところから作者は驚く歴史展開をさせる。日本の朝鮮支配が順調に進み、朝鮮という国の文化、言語、歴史が抹消されてしまうのだ。
朝鮮半島は日本の一部となり、朝鮮人という区別はあるものの朝鮮人は日本人として日本の名前を持ち、主人公は朝鮮人としての差別を受けながらも、日本人として何の疑いもなく日本企業のサラリーマンとして働いている。
章の始めに歴史の断片が語られ、小説の世界がどのように成り立っているのか少しずつわかるようになっているが、これがおそろしく堅牢で、実際に起こった出来事であるとしても不思議ではないリアリティを持っている。
一方で主人公の物語はというと娯楽小説的な展開は一切行われない。妻子のある身でありながら、部下の女性に恋心を抱いていたり、アメリカ起業との併合作業に奮闘したりとごく普通のサラリーマン小説的な展開をしていく。しかし、詩を書くことを趣味としていて作中でも何編もの詩が差し込まれ、単純な物語展開にはなっていない。
日本による朝鮮支配という設定でありながら、必ずしも反日的な方向へとは向いてはおらず、文化を消し去られてしまった民族はどうあるべきかという、いわば小松左京が『日本沈没』で日本人に国土を失わせ流浪の民と化させて問いかけたことがらと同じような様相を見せる。
そういった意味では、物語の持つ質量というのはかなり重く、読み終えてなお立ち止まらずに動き続けている。
お薦めしたいところなのだが入手が非常に困難なのが難点だ。

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