いやあ、ようやく読み終えました。
といっても難解だったというわけでもなく、単に自分の読書ペースが遅かっただけなんですが。
巻頭に配置された表題作「なめらかな世界と、その敵」は読み始めてすぐになん何だこれはと頭の中にクエスチョンマークが浮かび上がる。そもそも、夏らしいのに雪が降っていたり、父親が食卓についているのに父親の墓参りをしなければという話題がでたり。この矛盾した世界にどういう説明がさせるのかといえば、それはしばらく読みすすめていけばわかるようになる。この訳のわからなさとその解明までの間が絶妙だ。引き伸ばしすぎるとついていけなくなってしまうし、短すぎるとせっかくの不思議さが台無しになってしまう。
次の「ゼロ年代の臨界点」ではいきなり文章にやられる。「なめらかな世界と、その敵」とは文体を変えてきているのだ。そしてゼロ年代といいながらもそこで描かれているゼロ年代は千年単位で一桁違うゼロ年代でひねりがきいている。
「美亜羽へ贈る拳銃」は伊藤計劃の「ハーモニー」に対するトリビュートであるがゆえに自由意志という問題を扱いながらそれをものすごく身近な問題に結びつけているところが、わかりやすいといわれる所以なのだろう。
「ホーリーアイアンメイデン」はこれまた文体をガラリと変えて昭和初期の書簡という形態で、その書簡の書き手がすでに亡くなっているという状況から謎をはらみながら、超絶異能の能力を持った姉にたいする複雑な思いが徐々に明らかになってくる。
冷戦時代を背景としてソビエトの作った人工知能がシンギュラリティを突破したという様々なガジェットをこれでもかとばかりに詰め込んだ「シンギュラリティ・ソヴィエト」は、ガジェットのデパートに過ぎないんじゃないのかという一抹の不安など吹き飛ばすようなバカSF。
最後に待ち構える「ひかりより速く、ゆるやかに」は修学旅行の生徒を乗せた新幹線が、その内部も含めて時間の流れが極端に遅くなってしまったという現象を描いたもの。何をどうやっても時間の流れが遅くなった新幹線の内部に入ることはできず、かといって新幹線の動きを止めることもできない。そしてこの新幹線が目的地にたどり着くのはおおよそ西暦四七〇〇年ごろという計算になる。
読んでみるとたしかに評判の高い理由もよくわかる。じゃっかん百合っぽい話が多いのが気になるけれども、まあそれは好みの問題なのだが、しかしそれはそうとして、悪く言えば借り物のネタをうまく調理したという印象も強い。それは作者のSFに対する愛情ゆえの問題なのだろうけれども、ここまで読まされると、まったくオリジナルの世界を期待したくなるのだ。
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